民科の第二戦線・日本科学者会議
民科が崩壊したあと、日本共産党は平和運動としての原水爆禁止運動に力をそそいだ。原水爆禁止という運動の特殊性格から、戦後日本の科学の出発が原爆被災を原点にしている関係から、この運動には多くの共産党御用科学者が参加した。福島要一、江口朴郎、星野安三郎、田沼肇の諸氏、後に親中共派だとして党を除名された坂田昌一、武谷三男氏等々、著名な左翼科学者が原水協「専門委員」に名をつらねた。
しかし、この原水禁運動も三十七年八月の第八回原水禁世界大会においてかねて内在していた共産党と、社会党・総評との対立が一挙に表面に出、暴力事件までひき起して分裂してしまった〔注1〕。原水禁運動は、最もまとまりある「統一戦線」であったが、共産党の生硬なひきまわしが強く、その欠陥を露呈して分裂したのである。
日本共産党にとって、新たな科学者戦線の陣地構築がようやく必要とされてきた。こうして日本科学者会議(日科)が結成される。昭和四十年十二月四日のことで、自主独立路線を確定した日本共産党第十回党大会にさかのぼる十ヵ月前、反対勢力を次々に除名した宮本体制が着実に足場を固めた時期にあたる〔注2〕。
この日本科学者会議の結成にさきだつ数ヵ月前、共産党は書紀局名で各都道府県委員会宛にきめの細かい指示を流したといわれている。内容は、おりからの共産党の新しい科学者会議結成の意図を汲んだ「在京科学者」有志が、自らの発意のようにして「科学者組織をめざす全国準備会」を発足させたのを応援するがごとく、「民主的科学者有志によって、全国的な科学者組織の結成について話合いがもたれた結果、組織案の構想つくられた、等としても積極的に援助する用意がある」というもので、一見、科学者の自主性を尊重するかのような姿勢を保ってはいるものの、これはこういう場合の、つまり共産党が外郭団体〔注3〕を結成するときの、常套的なポーズであって、実際には組織のすみずみまで党の目がゆきとどいているのが常である。
その証拠に、この日本科学者会議の発起人となる科学者の人選、特に地域、学会での影響力の大小、勤務先、経歴、思想傾向、交友関係、大衆団体内の活動、各都道府県に対する発起人数の割当てなど、くどいほど細部にわたって注文をつけているのだ。
さて、日本科学者会議は、個人加入の全国単一組織の形態をとり、会員数は現在、公称六千名である。活動内容については会則で「目的、事業」として次のとおり示しているが、これを前出、日本共産党の科学技術政策と対比すると、その相似性にまず気づく。日科がかつての民科と同様、党の科学運動の推進母体であることを事実上裏付けているのである。
〔目的および事業〕
第二条 この会はつぎの目的をかかげます。
(1)日本の科学の自主的・民主的発展につとめ、その普及をはかります。
(2)科学者の生活と権利をまもり、研究条件の向上と研究の組織・体制の民主化につとめ、学問の研究と思想の自由をまもります。
(3)科学の各分野の相互交流をはかり、自主・平等の国際交流をすすめ、科学者の団結と統一をつよめます。
(4)科学の反動的利用に反対し、科学を人民の利益に役立たせるよう努力する。とともに、内外の平和、独立、民主主義、社会進歩、生活向上のための諸活動との連帯をつよめます。
党の科学技術政策と同様、やたらに「自主・民主」が唱えられているが、これは念仏か題目のようなものだから、気にすることはない。具体的活動としてはこれまで「公害」「科学研究費配分」「ベトナム反戦運動」「大学民主化闘争」を取上げてきたが、四十四年六月の第四回大会において初めて「安保条約廃棄、沖縄全面返還のたたかい」を重点課題として採択し、七〇年に対処した姿勢を打ち出した。
ところで、日本学術会議である。科学者会議が学術会議を、日本の科学、技術分野の中心機関として位置づけていることは、日本共産党の政策と全く同じだが、長期重点課題として「学術会議の民主化」つまり、学術会議の共産党支配の完結をめざしていることも同じである。現在の第八期会員中、科学者会議の会員は約六十名で、全体の比率からみれば約二十九%、さほど多くはないけれども、学術会議はほぼ科学者会議、日本共産党の主導権下にある。というのは党員科学者は数こそ多くないが戦術的にきわめて巧妙であって、科学者会議の会員を学術会議内に適切に配置しておけば、会長、運営審議会等の執行機関も掌握できるし、一方で各学会・協会等に散在している六千名の科学者会議会員がパイプ役になって学生相互、学会と学術会議との連絡、学術会議会員と科学者会議会員との連絡会、科学者会議の支部主催による学術会議会員と有権者との懇談会の開催等をしつつ、きめ細かく学術会議を包囲し、侵入すれば、学術会議内にいくら良識派がいたからといって、組織を持たない悲しさで、共産党勢力に力関係で圧倒されてしまうのである。しかも、ノンポリ会員のなかには前にふれたように、学問の本質は「反権力」と考えるひともおり「学問の自由」の立場から共産系勢力、ないしは左翼勢力と手を結ぶことが多い。かくして、共産党にとって新たな陣地が、学術会議内に構築されたのである。
学術会議の諸勧告、決議等〔注4〕は確かに表面的には会員多数、もしくは日本の学者の総意を結集したような体裁をとっている。しかし、実際には科学者会議会員を中心とする共産系勢力が、事前に企画立案して、これを決議の形にまとめ、力を背景に総会を乗切ったものが多い。
日本科学者会議における学術会議担当の最高責任者は神山恵三(気象研究室長、日科代表幹事)、川崎健(東海区水産研究室長、日科常任幹事)の両氏だといわれている。
―「学者の国会」日本学術会議の内幕 時事問題研究所編,1970年より)
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