【韓国】「抗日英雄はメイド・イン・ジャパン」完全版(但馬オサム)

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閔妃の墓に土下座させられた日本人

韓国の反日はすべて日本で作られてきたのです。安重根も李瞬臣もまず日本人が、過ぎる評価を与え、それが韓国に渡り、さらなるお色直しがほどこされ、あるいはまったく正反対の功績が書き加えられ、抗日のイコンとなっていきました。閔妃も今この星座に加わろうとしています。安重根や李瞬臣は憎き日本に一矢(いっし)報いたという意味でSK(ストロングコリア)のイコンで、「悲劇の王妃」はCK(チキンコリア)のイコンといっていいと思います。日韓合作の最強の反日イコンといえば、いわゆる”従軍慰安婦”につきますが、女性であるという点でいえば、閔妃のケースもこちらに近いでしょう。片や「性奴隷」、片や「屍姦」です。

SK(ストロングコリア)=野蛮国だった倭に文化を教え、秀吉軍を打ち負かし、抗日独立運動を戦い、現在では韓流K-POPブームで日本女性を虜にしているという、強い韓国のイメージ。

CK(チキンコリア)=日本に侵略され、女子を20万人性奴隷、炭坑強制労働、など被害者として誇張されたみじめで無力な韓国のイメージ。

共に但馬氏の造語。韓国人の日韓関係イメージは、SKとCKのふたつのファンタジーに分裂している。

「明成皇后を考える会」なる奇怪な集団があります。熊本県の元・現職教師で構成されたという同会は、閔妃事件の日本側実行犯の後裔を捜し出して関連記録を調査、殺害事件の真相究明を目的としている会であるとして、2004年に結成、2005年から毎年、10月8日の閔妃の命日に合わせ韓国を訪問、閔妃の生家や墓所を訪れ「謝罪」パフォーマンスを続けているとのことです。

2005年5月には韓国のドキュメンタリー番組制作会社の招きで、閔妃殺害の実行犯(国友重章・家入嘉吉)の子孫とされる男女を連れ訪韓、閔妃の墓所で土下座して謝罪するところを撮影させました。その模様はテレビ朝日系の『報道ステーション』でも報道され、私も見ましたが、不快極まりないものでした。

墓所についた二人を待っていたのはカメラの放列で、しかもそれはひざまづく二人を真正面から捉えており、明らかに晒し者にすることが目的であるのは歴然です。明らかな人権問題です。女性の方が桜色の訪問着(和服)を着ていたところを見ると、単なる、閔妃の子孫との和解という名目で「考える会」に呼ばれた可能性もあります。閔妃の曾孫と称する人物が、涙ながらに謝罪する二人に向かって「謝罪を受ける、受けないは、自分がすることではない。政府レベルの謝罪がなければならない」と言い放ったのも、非常に暗澹たる気持ちにさせられたものです。

先ほど紹介した伊藤文吉と安俊生の対面と比較してみてください。この二つの「対面」は、ともに政治的演出(アレンジメント)のともなったものであったかもしれませんが、日韓のそれでは、これほどまでに受ける印象が違うのです。あの時、うなだれる二人にシャッター音と罵声を浴びせた韓国人記者の中には、彼らを閔妃の遺体を陵辱した悪鬼の血を引く憎い日本人と信じていた者もいたことでしょう。

では彼ら二人のご先祖さま、国友重章と家入嘉吉は本当に閔妃殺害の実行犯だったのでしょうか。国友は当時朝鮮で新聞記者をしていたアジア主義者で、確かに閔妃殺害事件においては関係者として連座し広島で投獄されますが、三浦元公使らとともに証拠不十分で不起訴となっています。家入嘉吉に関しては朝鮮で日本語教師をしていたらしいのですが、事件にどれほど関与したかはまったくの不明です。推定無罪、しかも100年以上も前のことです。さらいえば、たとえ犯人であってもその子孫が罪を負うということは日本人の感覚にはありえません。

確かに三浦公使が閔妃排斥を念頭に反閔妃派と裏で手を組んでいたのは事実でしょう。彼女をこのまま野放しにしていたら、いずれ朝鮮はロシアに呑まれてしまうのは必至です。では、朝鮮側で閔妃排斥を願っていたのは誰でしょう。志半ばで殺されてしまいましたが、金玉均がまずそうでした。閔妃に捨てられ職を失った旧軍隊の怒りも凄まじいものがありました。しかし、なんといっても閔妃憎しで凝り固まっていたのは大院君です。いや、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に苦しむ国民すべての怨嗟(えんさ)の的が彼女だったのです。閔妃暗殺とは、そういった複雑なベクトルが一点に集中して起こった歴史の大事件でした。

現代の感覚からすれば、暗殺という手段を決して認めることはできません。しかし、暗殺という非常手段を用いなければ、世を動かせなった時代も確かにあったのです。

伊藤博文も閔妃も暗殺によって命を奪われました。しかし、韓国民にとって、どちらの暗殺が真に有益だったか、誰が真の意味での義士であったか、彼らが答えを出すには、まだもう少し時間が必要なのかもしれません。

歴史上に絶対の悪はいないと信じます。閔妃の冥福を祈る心は私にもあります。しかし、彼女を聖女にすることは絶対に許されないことなのです。

(FIN)

 

 

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