【資料・沖縄】連合国最高司令官ドゥグラス・マッカーサー元帥閣下宛の陳情書<漢那憲和、伊江朝助、東恩納寛惇、神山政良、仲吉良光、大濱信泉、伊礼肇、高嶺明達、嘉手川重利、船越義英、亀川盛要、大田政作>

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資料データ
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「陳情続けて二十余年」 仲吉良光著(入手困難な古書)より

(※編注:原著入手できず未確認のため誤字脱字と思われる箇所が複数箇所あります)

連合国最高司令官 ドゥグラス・マッカーサー元帥閣下

一九四六年十月二日

閣下、われわれ沖縄生れで、現在日本本土居住の下記の一群は、閣下の深い御理解と御同情を得たく本陳情書を呈上するものであります。

昨年夏、米軍占領直後の沖縄に、時を移さず、軍政がしかれ、戦傷者その他のために各地に病院開設され、手厚く療養が加えられ、また、一般には、食料、衣類及び住宅新築の材木などの配給があり、この人道的施設に沖縄住民は、米軍政府、米国民に対し深く感謝して居ります。

住民の多数は、各自のホームランドたる町や村に帰り、住宅建築、田畑の耕作に専心、戦苦も忘れ平安な生活に帰りつつあります。かく、米軍政府のの行為に感激しつつあるも、日本本土同胞と血の繋がりがありますので、戦前同様、日本政府行政下に帰りたい一念に燃えて居ります。血は水よりも濃しといわれる如く、沖縄全住民は、日本民族たる自覚強烈、いかなる境遇に陥るも、本土同胞と運命を共にしたいとの念願が支配的であります。

欧米の一部には、日本国民は沖縄人民を貧乏な従兄弟と軽視し、冷遇したと論ずる者も居りますが、これは謬想(※編注:びゅうそう、誤った考え)日本政府及び日本人が沖縄差別待遇した事実は絶対にありません。沖縄人民は、常に本土各府県民と同等の待遇を受けてきたのであります。明治政府施政下に置かれてから七十年間、沖縄は日本の一地方として開発され、現在の沖縄民衆また矢張、日本国家構成分子としての存続を切望して居ります。人情自然の成り行きであります。また欧米の或る方面では、沖縄も台湾、満州の支那大陸との関係の如く浅からぬ間柄との論もあるようです。しかし、これは体質的に根本の相違があります。

事実、琉球王国として、支那とは明治初年まで、実に五百年の長い間親善関係を続けてきました。沖縄人民の主食たるいも、唯一の換金作物たる砂糖もすべて支那から輸入し、広まったものであります。だから、嘗つては沖縄人は、命の親たる支那との関係を永続したいと希望した時代もありました。

だが、支那政府として直接沖縄の政治行政にタッチしたことはありません。支那との政治的重大な関係は冊封であります。

琉球王の変わる毎に、王冠を授与するため、歴代の支那皇帝は特使を派遣しました。これを冊封と申し、沖縄では新国王の治世を飾る重大な儀式であるため、国を傾けての行事となりましたし、支那との政治関係もこの一点のみであり、それも四十年乃至五十年に一度の行事であります。沖縄は土地資源に乏しい国でありますが、沖縄人は嘗つて一度も支那の保国たらんと意図したことはありません。ひたすら貿易、文化を通じての友好関係持続を念じたのであります。

三百年前の薩摩入り(※編注:現在では「薩摩の琉球侵攻」との表現が使われるがかつては「薩摩入り」との表現)以後、沖縄は支那、日本両属の姿を呈するに至りました。しかし、薩摩の征服より数百年前、日本人は沖縄に自由に渡来しております。その間、最も著名なるは、武人源為朝であります。為朝の長男舜天が衆に推されて国王となります。歴史上、最初の琉球国王であります。またその頃、日本の僧侶も渡来し、仏教を布教したのであります。かくの如く、日本本土と沖縄との往来頻繁、同一国土であります。倭寇という海賊が本土沖縄の海上に横行し、沖縄船も屡々(しばしば)襲撃されたので、その難を避けて、専(もっぱ)ら支那及び南洋各地へ舵を向け、本土との通融を絶つに至りました。しかし、沖縄人は日本人種であり、言語、風俗習慣、信仰も同一であります故、間もなく元の関係を取り戻しました。

豊臣秀吉氏が朝鮮征伐を企図するや、薩摩藩を介し、沖縄に出兵を要請しました。この事実から、その時代の日本本土人が沖縄を同胞扱いしたのが明らかであります。

今から三百年前の沖縄の歴史家で、政治家たる羽地朝秀(はねじ・ちょうしゅう)氏は、言語の同一の点から同祖論を唱導、今日の沖縄人もこれを信奉しています。

最後の琉球王尚泰も、領土を奉還、その感化で明治王政維新なるや、日本政府の勧告に応じ、王位を、東京に居を移し、沖縄県が設置されたのであります。

これは子が父の家に帰る如く、極めて自然に行われ、武力王位などでの変革ではありません。明治依頼、沖縄の教育は異常な進歩で全県に普及、各種産業もまた振興、定期船により本土との往来も頻繁となりました。沖縄人民は政治、行政その他の権利とも、本土同胞と全く平等で、みじん差別がないのであります。この一点で沖縄が日本の一部たる確たる証拠で、毫も(ごうも)疑う余地はありません。

この事実から、現在の沖縄人民が祖国日本に復帰したいとの熱望は自然で、深く人間性に基づくもので、他意はありません。

地理上からも、沖縄人の経済生活を支えるのも、日本本土との密接な関係が必要であり、戦前の如く、日本施政下に帰るのが沖縄人民は幸福と感じて居り、自由で人間らしい生活を取り戻したいのが復帰の基調であります。

貴国、大なる米合衆国は、世界の恒久平和樹立と、全世界人民に福祉生活をあたえたいとの、主要な指導国家であります故、真摯な沖縄人の訴えには、耳を傾けて深く考慮して頂きたい。

日本との平和会議も遠からず開催されると信じ、敢えてこの粗末な書面を呈上する次第であります。何卒ご配慮下されたい。

 

漢那憲和、伊江朝助、東恩納寛惇、神山政良、仲吉良光、大濱信泉、伊礼肇、高嶺明達、嘉手川重利、船越義英、亀川盛要、大田政作

参考

仲吉良光氏Wikipedia

仲吉良光 - Wikipedia

 

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