https://twitter.com/kurewankansen1/status/1379547587884163076
1945年4月7日
戦艦「大和」の沈没1941年に呉海軍工廠で完成した「大和」は口径 46cmの主砲を有し「武蔵」と並ぶ世界最大級の戦艦だった。アメリカ軍が沖縄に上陸すると、特攻作戦のために出発。だが この日、途上で米軍機 1000機に襲撃され沈没した。乗員 3332名のうち、3056名が犠牲となった。 pic.twitter.com/UmPk57YeZB
— 今日は何の日 (@kyouhanannda) April 6, 2021
本日は、戦艦大和の沈没から76年目の日。片道燃料だったとか、航空機の援護がなかったという虚偽の伝聞が伝えられていることは、悲しいことです。 pic.twitter.com/IIWHHO64uQ
— 三島由紀夫研究会 (@yukokuki) April 6, 2021
戦艦大和の追悼式に初めて参列しました。生のラッパは腹に響きます。 #大和 #戦艦大和 #呉 pic.twitter.com/TqS9fpvPG6
— 呉人 小倉裕之(縁柱 すし活レジ係り) (@musashi1219) April 7, 2021
1945年、昭和20年4月7日
旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦「大和」。 4月7日、沖縄海上特攻の途中、米艦載機の猛攻撃を受けて鹿児島県坊ノ岬沖で沈没しました。 pic.twitter.com/8zeujtQ64s— J.WH (@JPNHistoria) April 6, 2021
昭和20年4月7日 鹿児島県坊ノ岬沖にて、戦艦大和をはじめ第二水雷戦隊 軽巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風・浜風・朝霜・霞が米空母艦載機と交戦し沈没。3,700余名が戦死されました。
(『戦艦大和記念碑 』東海地区戦艦大和会, 昭和42年4月7日, 愛知縣護國神社敷地内)#坊ノ岬沖海戦 pic.twitter.com/EZkOSVT3my
— 戦没者慰霊碑巡り (@jp_warmemorial) April 7, 2021
そうか、今日4月7日は戦艦大和が沈んだ日か。作戦の是非はともかく、連合艦隊の象徴が連合艦隊の終焉を演じれてたことはある意味幸せだったかな。解体されてくず鉄に売られるよりかはね。 pic.twitter.com/snGBVL3O56
— 真鍋譲治@単行本「パトラと鉄十字」3巻12/11発売決定! (@GLC09BK88PGot7U) April 7, 2021
4/7は戦艦大和が沈んだ日。よく大和は「戦闘機の護衛もなく裸で進撃させられた」と言われるが、それは半分嘘。早朝から敵機が来襲する直前まで二〇三空と三五二空零戦隊が「大和」上空直衛に飛んでいる。写真は最後の上空直衛の指揮官となった三五二空分隊長植松大尉が当日使用した航空図(部分)。 pic.twitter.com/uxUw7WcuaF
— 神立尚紀 (@koudachinaoki) April 6, 2021
1945年4月7日、戦艦大和が米軍機によって沈められました。
世界最大の戦艦を目指して、すべての力を注ぎ込んで建造された大和。
乗員3,332人のうち、生還者は276人のみという悲惨な結果を迎えましたが、明治維新から70年で世界最大の戦艦を作った技術力は、戦後の経済復興を支える原動力となりました。 pic.twitter.com/wHesWCQQb9— 東京歴史倶楽部 (@rekishiclub) April 6, 2021