赤い巨塔

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「学者の国会」を牛耳る日共科学技術部③地学団体研究会と青年法律家協会【資料・赤い巨塔(1970年) 】

地学団体研究会と青年法律家協会日本科学者会議は、いわば総合的な学者、研究者の集まりである。ほかに専門別の学者や研究者の集団(学会等)があって、その集団を基盤にして、二重三重に学術会議への働きかけが行なわれている。それらのなかでも特異なのが、...
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「学者の国会」を牛耳る日共科学技術部②民科の第二戦線・日本科学者会議【資料・赤い巨塔(1970年) 】

民科の第二戦線・日本科学者会議民科が崩壊したあと、日本共産党は平和運動としての原水爆禁止運動に力をそそいだ。原水爆禁止という運動の特殊性格から、戦後日本の科学の出発が原爆被災を原点にしている関係から、この運動には多くの共産党御用科学者が参加...
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「学者の国会」を牛耳る日共科学技術部①日共が狙うもの【資料・赤い巨塔(1970年) 】

日共が狙うもの民科はなやかなりし頃、日本共産党は旧講座派的科学、技術テーゼによって民科に君臨していた。これは前述した。その後、代々木が極左冒険主義、六全協自己批判、内部抗争を試行錯誤を重ね〔注1〕、今日の宮本体制、いわゆる自主独立路線に到達...
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学術会議の誕生と病根⑤科学の論理と政治の論理【資料・赤い巨塔(1970年) 】

科学の論理と政治の論理以上、述べて来たことを一応ここで総括しておきたい。㈠日本学術会議は占領軍のいわゆる民主化政策の一環として創設されたものであるが、わが国の科学者の内外に対する代表機関であり、しかも科学に関する重要事項を審議し、政府の諮問...
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学術会議の誕生と病根④学者選挙と諮問に弊害生ず【資料・赤い巨塔(1970年) 】

学者選挙と諮問に弊害生ず学術会議法によると、日本学術会議は選挙された二百十人の会員をもって組織され、その会員の任期は三年、ただし再選は妨げない(法七条一・二項)とある。その、世界でも稀有の第一回学者選挙が二十三年十二月行なわれ、急進派の民科...
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学術会議の誕生と病根③学術会議の誕生【資料・赤い巨塔(1970年) 】

学術会議の誕生占領軍によって強引に推進されたいわゆる民主化政策は、わが国各層に深刻なトラブルをひき起したが、学界もその例に洩れなかった。それは、いわば占領軍という権力を頂点とした旧勢力と新勢力、漸進派と急進派との間の争いであった。わが国には...
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学術会議の誕生と病根②左傾化の原点―「民科」の結成【資料・赤い巨塔(1970年) 】

左傾化の原点―「民科」の結成戦後日本の科学者の活動は、大戦末期の原爆被害調査に始まった、という逆説めいた出発点を持っている。すなわち、昭和二十年八月の終戦と共にわが国の学術研究、技術開発の活動は一時完全に停止するに至ったが、同時に広島、長崎...
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学術会議の誕生と病根①吉田元首相の学術会議民間移管論【資料・赤い巨塔(1970年) 】

吉田元首相の学術会議民間移管論亡くなった小泉信三博士はそのエッセイ「必然と偶然」のなかで「歴史上の『若しも﹅﹅﹅』ということ」を「興味本位に取り扱うことは勿論禁物であるが、しかしまた、それは十分考察に値する問題であることも思うべき」であると...
ニュースまとめ

<WiLL増刊号>赤い巨塔 日本学術会議という病【WiLL増刊号#304】

WiLL増刊号さんの動画(8分13秒)ネットの反応日本学術会議と日本学術振興会の関係も重要である。科研費の配分に大きな影響力を日本学術振興会が持っているからである。日本学術会議は、日本共産党のフロント組織の民主主義科学者協会が支配をする。解...
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学術会議をこう見る⑥『二者択一を迫られる学術会議』【資料・赤い巨塔(1970年)】

二者択一を迫られる学術会議一橋大学名誉教授(1970年当時) 田上穰治学術会議を会員選挙の実情からみれば、自然科学の部門はかなり激しい競争であって、また規則違反の選挙運動の事実もみられるのに反し、社会科学部門は、立候補の数が次第に減少し、無...
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学術会議をこう見る⑤『フラク会議に招かれて』【資料・赤い巨塔(1970年) 】

フラク会議に招かれて東京教育大学助教授(1970年当時) 大島康正◇一九五六年の秋、私は大学の親しい同僚たちから強くすすめられ、また日本倫理学会から推薦されて、第四期会員選挙の第一部関東地方区に立候補した。激戦の後どうにか当選できたが、その...
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学術会議をこう見る④『国費で圧力団体を養成するな』【資料・赤い巨塔(1970年) 】

国費で圧力団体を養成するな京都教育大学助教授(1970年当時) 小森義峯日本学術会議は、昭和二三年七月に制定公布された日本学術会議法に基き、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立ち」(前文)「わが国の内外に対する代表機関として、科学の向...
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学術会議をこう見る③『無視できない「第二文部省」の偏向』【資料・赤い巨塔(1970年) 】

無視できない「第二文部省」の偏向高崎経済大学教授 三潴信吾(みつま・しんご)まず第一に、日本学術会議は周知の如く、総理府管下の行政機関という公共機関であるが、「独立した立場から」政府に意見具申をする権限を保有し、行政機関としての上級機関より...
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学術会議をこう見る②『政府は学術会議を解散すべし』【資料・赤い巨塔(1970年) 】

政府は学術会議を解散すべし京都大学名誉教授 大石義雄日本学術会議の「あり方検討特別委員会」が学術会議総会二日目の昭和四五年四月二三日に提出した中間報告草案のうち「あり方改革の方向」の内容をみると「学術会議の存在理由は、単に『日本学術会議法』...
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学術会議をこう見る①『謀議でつくられる「学者の総意」』【資料・赤い巨塔(1970年) 】

謀議でつくられる「学者の総意」前東京教育大学々長 三輪知雄日本学術会議の実態は、学者のあいだではしだいにわかってきているが、一般世間の認識はまだまだきわめて浅い。学術会議は一種の学者集団であるが、学者というものに対する日本人の見方はひじょう...
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