学術会議の誕生と病根

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学術会議の誕生と病根⑤科学の論理と政治の論理【資料・赤い巨塔(1970年) 】

科学の論理と政治の論理 以上、述べて来たことを一応ここで総括しておきたい。 ㈠日本学術会議は占領軍のいわゆる民主化政策の一環として創設されたものであるが、わが国の科学者の内外に対する代表機関であり、しかも科学に関する重要事項を審議し、...
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学術会議の誕生と病根④学者選挙と諮問に弊害生ず【資料・赤い巨塔(1970年) 】

学者選挙と諮問に弊害生ず 学術会議法によると、日本学術会議は選挙された二百十人の会員をもって組織され、その会員の任期は三年、ただし再選は妨げない(法七条一・二項)とある。 その、世界でも稀有の第一回学者選挙が二十三年十二月行なわれ、急...
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学術会議の誕生と病根③学術会議の誕生【資料・赤い巨塔(1970年) 】

学術会議の誕生 占領軍によって強引に推進されたいわゆる民主化政策は、わが国各層に深刻なトラブルをひき起したが、学界もその例に洩れなかった。それは、いわば占領軍という権力を頂点とした旧勢力と新勢力、漸進派と急進派との間の争いであった。 ...
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学術会議の誕生と病根②左傾化の原点―「民科」の結成【資料・赤い巨塔(1970年) 】

左傾化の原点―「民科」の結成 戦後日本の科学者の活動は、大戦末期の原爆被害調査に始まった、という逆説めいた出発点を持っている。 すなわち、昭和二十年八月の終戦と共にわが国の学術研究、技術開発の活動は一時完全に停止するに至ったが、同時に...
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学術会議の誕生と病根①吉田元首相の学術会議民間移管論【資料・赤い巨塔(1970年) 】

吉田元首相の学術会議民間移管論 亡くなった小泉信三博士はそのエッセイ「必然と偶然」のなかで「歴史上の『若しも﹅﹅﹅』ということ」を「興味本位に取り扱うことは勿論禁物であるが、しかしまた、それは十分考察に値する問題であることも思うべき」で...
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